- update更新日:2019.03.01 folder未分類
さて、一言でストレスと言っても、一体どこからがストレスになるのでしょうか?
そんな事、誰が決めるのでしょうか?
ストレスは敵なのでしょうか?
ストレスはどこからストレスなのでしょうか?
実際、ストレスと思えばストレスなのでしょうし、ストレスという程ではないなと思えば、ストレスではないのでしょう。
当たり前と言えばそうですね。プレッシャー(圧力)を感じればその結果が、ストレスという反応になると考えた方が正確でしょう。
圧力を感じたけれど、ストレスとは感じず心や体にも反応が出なければ、ストレスではないということになります。
圧力(プレッシャー)を感じてはいるけれど、それが心地良いという人もいます。これはどういうことでしょうか?
ここがストレスになるかどうかのポイントかも知れませんね。
プレッシャーではあるけれど、そこでその先に問題点を克服しているプラスの未来像を想像できる人は、辛いことが続いても無意識に、いつかこの問題を克服して、次のステップに進んでいる自分を心に描いているのでしょう。
だから辛くても、成功の前は映画でも小説でも1番の暗黒だし、そこが辛ければ辛いほど、エンディングは盛り上がるものという覚悟があるのでしょう。そして仮に失敗して打ちのめされても、どうせまた立ちあがるのだから、その時は又何とでもする。
仮に全てが失敗したとしても大丈夫。生きてさえいれば新たな道はある。そんな割り切りが、心の芯に通っているのではないでしょうか。
そんな割り切りが、グラグラと揺らぐ時に、プレッシャーに負けた心が、ストレスという反応を引き出すのではないでしょうか。
ストレスという言葉を自らが使う時、その時はすでに心は負けていて、辞めて逃げ出したいという反応をし始めているのだと思います。
ストレスを自分で使い始める時、それは自分の心が負けを意識しているときであり、それを決めるのは自分の心の弱さのように思います。
プレッシャーがストレスを生み、自信のない弱い心がそれを育てて、全てを辞めて逃げ出そうとする。
ストレスのメカニズムは解って来ましたが、その解放へは今だに届きません。いや〜、長い道のりになりそうですね。